100選♪これだけは聴いておこう♪ クラシック音楽



からたちの花


北原白秋の詞に山田耕筰が作曲したこの『からたちの花』は今でも多くの方に親しまれており、 世界でもよく知られている日本歌曲の1つではないでしょうか。
これは大正14年(1925)5月、北原白秋40歳、山田耕筰39歳の時の作品です。

悲しくて、つらくて泣く歌はたくさんありますが、”みんな、みんな やさしかったよ”と泣いているところに、 この詩のせつなさが感じられます。

今も福岡県柳川市には北原白秋の生家が残っており、『からたちの花咲く生家』を見ることができるようです。

学校の教科書に必ず出ていた山田耕筰の作品が、教科書からだんだん消えていきかけているそうです。
これらの作品のどこがいいのかがわからなければ、いずれ消えていくのかもしれませんが、 この”からたちの花”や”この道”なんかは曲もやわかりやすく、親しみのある曲なのに、なんでなくなっていくのでしょうね。 日本の価値ある人を、我々日本人が忘れていかないようにと願うばかりです。





からたちの花

北原 白秋 作詞
山田 耕筰 作曲

からたちの 花が咲いたよ
白い 白い 花が咲いたよ
         
からたちの とげはいたいよ
青い 青い 針のとげだよ 
        
からたちは 畑の垣根よ 
いつも いつも とおる道だよ
      
からたちも 秋はみのるよ 
まろい まろい 金のたまだよ 

からたちの そばで泣いたよ
みんな みんな やさしかったよ
 
からたちの 花が咲いたよ
白い 白い 花が咲いたよ
 
                                       



CD紹介

題名
演奏者
曲目
一言
日本のうた
畑儀文
全16曲
ポピュラーも入っていてちょっとがっかりですが、彼の歌から伝わるものは多くあります。 年配の方にとってはなつかしい曲ばかりなので人気のCDです。
歌の翼に
アーメリング
シューベルト、トスティ、等日本語を知らないはずの外国人なのに 日本語を美しく歌っているのが不思議です
さくら横ちょう
佐藤美枝子
日本歌曲14曲
アマゾンのレビューでは★★★★★です
バッハ : モテットBWV227
ドレスデン十字架合唱団
バッハ+夏の思い出、からたちの花東京でのライヴ録音です。 彼らの日本歌曲はどうかわかりませんが、合唱団の実力は充分あり
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山田耕筰(1886〜1965)


山田耕筰は1886(明治19年)6月9日東京に生まれ、1904年東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)へ入学して 1908年同声楽科卒業しています。これは当時芸大にまだ作曲科がなかったためです。
1910〜13年ベルリン留学後、1915年(29歳)と時に 東京フィルハーモニー交響楽団を設立し、日本のオーケストラ活動の礎をつくりました。
1917年(31歳)にはニューヨークのカーネギーホールで自作の管弦楽曲を演奏し 、欧米でも名の知られる日本人音楽家の先鞭となりました。

彼は音楽以外の芸術、絵画・文学・演劇にも関心が深く、 ドイツの画家カンディンスキーの絵を日本に初めて紹介したり、詩人の北原白秋らと組んで雑誌「詩と音楽」を創刊したり、 劇団「土曜劇場」「新劇場」を結成するなど、明治〜昭和初期の芸術界全般に大きな足跡を残したのです。
作曲家としては、詩を音読すると自然に発生してくるイントネーションを、そのまま生かした自然のメロディーをつける歌曲のスタイルを 作りました。
彼の作品はどれも高い芸術性を持っており、代表作に歌曲集「風に寄せてうたえる春の歌」、 オペラ「黒船」などや、歌曲「この道」「からたちの花」があり、 世界的にも広く認められています。
昭和40年12月29日79歳で死去。



北原白秋(1885〜1942)


北原白秋は今でも、広く大衆に親しまれ、愛唱されている偉大な詩人です。
白秋の童謡は、童心の純粋さ、郷愁の念など、だれもが共感できるテーマを豊かな語彙と心地よいリズムで歌い上げ、 時代を超えた普遍性を獲得しています。「ゆりかごのうた」「赤い鳥小鳥」「ペチカ」「待ちぼうけ」「この道」…これらの作品は、 ちょっと口ずさんだだけでも、やさしい気持ちになれることでしょう。
昭和17年11月2日58歳で死去。






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