100選♪これだけは聴いておこう♪ クラシック音楽



ペール・ギュント


今日紹介する『ペール・ギュント』は有名な曲なので、題名だけ聞いて知らないって方も曲を聴くと、 ”ああ〜あれか・・・”って思い出すと思います。

この曲は、ノルウェーの作家イプセンが書いた詩劇『ペール・ギュント』にグリーグが劇中音楽として作曲をしたものですが、 この詩劇がなぜか笑えます。
優しい方ならこの主人公<ペール・ギュント>という人物をかっこいいわ〜って思われ、 最後も純粋に受け止めてステキって思えるかもしれませんが、 私は”それはないやろ〜!”と、この詩劇のおかしさと、 それとは逆にグリーグがつけた曲のすばらしさになんとも違和感を感じた1曲でした。

この曲は最初、独唱と合唱を含む全26曲のスコアを書き上げ、 1876年の上演は成功を収めました。その後、組曲として編成されなおし、 第1と第2の組曲として残っています。

第1組曲は1888年、第2組曲は1892年に作られています。


『ペール・ギュント』第1組曲 Op.46 作曲:グリーグ

1、朝    Listen
  モロッコでのサハラ砂漠の日の出の情景をあらわすとともに、 アフリカに渡り心機一転したペールのすがすがしい気分も表現しています。

2、オーゼの死    Listen
溺愛する息子を最後に見ることができ、 幸せのうちに死んでいく母オーゼの広く暖かい心がしみいる曲。

3、アニトラの踊り    Listen
酋長の娘アニトラが踊る舞曲。怪しく魅惑的な彼女に見事ペールは騙される。

4、山の魔王の宮殿にて    Listen
魔王の娘を追って宮殿に入ったペールに、 子分の小鬼たちが粗野にはやし立てる場面での曲


『ペール・ギュント』第2組曲 Op.55 作曲:グリーグ

5、花嫁の略奪とイングリッドの嘆き    Listen
冒頭は婚礼の音楽だったものが短調化したもの。 その後中間部でイングリッドの悲嘆が延々と歌われる。昔はペールのことが好きだったというイングリッド。

6、アラビアの踊り    Listen
ベドウィン族の乙女たちが踊る場面の音楽。雰囲気はかなりエキゾチック。

7、ペール・ギュントの帰郷    Listen
帰路の途上での嵐の音楽。 途中の半音階的モチーフが嵐の激しさを表し不気味。

8、ソルヴェイグの歌    Listen
  ♪「冬も春も、そして次の夏も過ぎ、一年がまた流れ去る。 でもわたしにはわかっている、あなたはいつか戻ると。だからわたしは待っていよう、あなたに約束したとおり。」

クリックするとメディアプレーヤーで 視聴できます。演奏:レパード/イギリス室内管弦楽団


『ペール・ギュント』物語
ペール・ギュントというのは、ノルウェーに昔から伝わる民話に出てくる英雄の名で、伝説的人物です。


第一幕 主人公のペール・ギュントは、道楽者の父親が財産を使い果たしてこの世を去ってからは、 一人息子を溺愛する、年老いた母オーゼと貧しく暮らしていました。
ところがペールは仕事嫌いの上にとんでもない夢想家の大ほら吹きで村人からも相手にされていませんでした。

  そんなある日、昔は良い仲だった幼馴染のイングリッドの結婚式に呼ばれなかったペールは、 このときにソルヴェイグという純情な恋人がいるにもかかわらずその場でイングリッドを奪って山中に逃げてしまいます。


第二幕  山中に連れ込まれたイングリットは悲しみ(5)、 そんな彼女に飽きたペールは彼女をおいて、放浪の旅に出ます。

そこでペールは魔王の娘に会い、 魔王の宮殿へ行きますが、魔王の娘との結婚を断ったので子鬼たちに散々な目にあわされます。 (4)


第三幕 やっと子鬼たちから逃げ出したペールは故郷に帰ると、 母オーゼの死(2)が待っています。


第四幕 時は流れ、すがすがしい朝(1) を迎えたペールはアフリカに渡り、 国際的な山師になっていました。
モロッコで預言者として ベドウィン族に歓迎(6)され、巨万の富を獲得した彼に、 酋長の娘アニトラが魅力的な踊り(3)で誘惑します。ペールはすっかり心惹かれ、 アニトラも獲得したかにみえたが結局財産目当てだった彼女は財産を全部奪い、ペールを砂漠に置き去りにします。


第五幕 しかしその後数々の冒険の末、 再びカリフォルニアで巨万の富を得たペールは年取ったわが身を休めようと 故郷に向かいますが、 その途上ノルウェー間近で嵐に遭い船は難破(7)、またまた無一文になります。

命からがらなんとか故郷にたどり着いたペールはそこで盲目になりながらも彼の帰りを待つソルヴェイグを見つけ、 意を決し彼女の前に姿を表します。

そんな彼をソルヴェイグは許し、 彼のために子守唄(8)を歌います。

ペールはやっと得た安らぎのなか永遠の眠りにつくのでした。



オススメCD&本

題名
演奏者
曲目
一言
【グリーグ:ペール・ギュント】
指揮: レパード(レイモンド)、演奏:イギリス室内管弦楽団「ペール・ギュント」・交響詩「フィンランディア」等 誇張されることなく曲のすばらしさが出ている演奏です。
指揮: カラヤン(ヘルベルト・フォン)、演奏:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 「ペール・ギュント」・「ホルベルク組曲」等カラヤンらしく迫力ある演奏です。
【ペール・ギュント】
イプセングリーク児童図書館・絵本の部屋単行本
*商品購入は写真(またはタイトル)をクリックして下さい。購入に関してはこちら
*この曲のCDはクラシック・ライブラリーでも 紹介しています。



エドヴァルト・グリーグ(1843〜1907)


グリーグは、1843年に、ノルウェーのベルゲンで生れました。

ピアニストであった母親からてほどきを受け、15歳のときには名バイオリニストのブルに才能を認められてドイツの ライプツィヒ音楽院に留学しました。
ここでドイツ様式の作曲法や理論をみっちりと学び、19歳で卒業した彼は、祖国ノルウェーのベルゲンでピアニスト・ 作曲家として正式のデビューを果たしました。

1863年には、北欧の文化・芸術の中心であったデンマークのコペンハーゲンに移り、 既に有名だったデンマーク人の作曲家ニルス・W・ゲーゼ(1817-90)とも交流、
また、 コペンハーゲンでは、いとこでソプラノ歌手ニーナとの出会いもあり彼は24歳のとき、彼女と結婚しました。

ドイツ様式の作曲法を身につけていたグリーグも、次第にノルウェー人の感情や語法を、 独自の音楽に作り上げていくようになっていきました。雄々しくおおらかな迫力の中に、 こまやかな叙情性をたたえた、ノルウェーならではの音楽を目指しました。

晩年は、病をおして各地へのコンサートに赴き、ブラームスやチャイコフスキー、 ドヴォルザークやディーリアスなどとも親交を結びますが、 1907年9月4日、ロンドンへの演奏旅行のためにトロールハウゲンからベルゲンの港へ向う途中で、64歳の生涯を閉じました。












Copyright(C) 2005 100選♪これだけは聴いておこう♪ All rights reserved
当ホームページに掲載されている内容の無許可転載・転用を禁止します。




SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送