100選♪これだけは聴いておこう♪ クラシック音楽



ピアノ協奏曲第5番『皇帝』


ベートーヴェンのピアノ協奏曲は5曲ありますが、一番良く演奏されるのは、この第5番『皇帝』のようです。

この『皇帝』という呼び名はベートーヴェン自身がつけたものではありません。
当時ウイーンを占領していたフランス軍の兵士が、この曲を聴いて「皇帝だ!皇帝万歳!」と叫んだことからついた という逸話があるようです。
それも真実ではないようですが・・・。

でもこの曲はフランス軍と密接な関係がないわけではなく、 ベートーヴェンがこの曲に着手した1809年頃、彼の住んでいたウィーンは、ナポレオンの率いるフランス軍に占領されます。

このころからベートーヴェンは、耳の病気を再び強く気にしていたようで、 フランス軍とオーストリア軍の戦闘による大砲の音が彼の聴覚を痛打し、そのため、彼は弟カールの家の地下室で、 クッションを耳に押し当てて過ごす日が多かったようです。
またこの戦乱の中で師匠であったハイドンが77歳の生涯を終えるなど、ウィーンはすっかり荒廃してしまい、 音楽のなくなった戦乱の最中の悲惨な生活の中でこの曲は作曲されました。

だからといって、陰気で悲惨なイメージの曲ではなく、堂々とした壮大な音楽です。
これからの新しい人間と社会の追求を、前向きな音楽で表現し、ベートーヴェンはそれを聴き手に訴えかけたかったのでしょう。



ピアノ協奏曲第5番Op.73『皇帝』 作曲:ベートーヴェン

第一楽章 アレグロ 変ホ長調    Listen
オーケストラの”ジャーン!”という合図で、力強いピアノのカデンツァが入り、曲は始まります。
その後、管弦楽で堂々とした主旋律に入り、合間に華麗なピアノと、管弦楽と独奏がうまく かみ合わさって曲を形作っていきます。
恒例になっていたカデンツァはこの曲にはありません。

第二楽章 アダージョ・ウン・ポコ・モッソ ロ長調    Listen
この楽章は自由な変奏曲で出来ています。
ピアノによっておだやかな旋律が奏でられ、それに木管と弦が静かに支えます。
曲は次第に静かになっていき、最後にピアノが次の楽章を予告するような旋律を奏し、 第三楽章へと続いていきます。

第三楽章 アレグロ 変ホ長調    Listen
ピアノのエネルギッシュなメロディーで始まり、それが繰り返し出てきて、曲は高潮していきます。
華麗なピアノや、豪快な管弦楽によってこの壮大な曲は明るく終わります。

クリックするとメディアプレーヤーで 視聴できます。視聴:レヴィン/ガーディナー



CD&DVD紹介

題名
演奏者
曲目
一言
レヴィン
ガーディナー
皇帝
合唱幻想曲ハ短調
ベートヴェンの時代の楽器”ピアノフォルテ”での演奏です。
レヴィン
ガーディナー
ピアノ協奏曲全集 上で紹介したCDの全集です。演奏はすばらしいです
小澤征爾
ボストン交響楽団
ゼルキン
皇帝
交響曲第5番ハ短調op.67「運命」
落ち着いた演奏。
ルービンシュタイン
バレンボイム
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
皇帝
ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調
ルービンシュタイン88歳時の「皇帝」
ツィマーマン
バーンスタイン
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ピアノ協奏曲第4番&第5番 輸入版の全集は こちら
ベートーヴェン : ピアノ協奏曲第5番変ホ長調 「皇帝」
アラウ
デヴィス
ドレスデン・シュターツカペレ
ピアノ協奏曲第4番&第5番 アラウ81歳時の録音
ブレンデル
レヴァイン
シカゴ響
ピアノ協奏曲第第5番他 定番のピアニスト
―DVD―
ベートーヴェン : ピアノ協奏曲第5番変ホ長調 「皇帝」
キリル・コンドラシン
ヴァン・クライバーン
ピアノ協奏曲第5番
チャイコフスキー
DVD

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*この曲のCDはクラシック・ライブラリーでも 紹介しています。
 


ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン (1770〜1827)

ベートーヴェンは無名のテノール歌手の息子として、ドイツのボンに生まれました。
祖父ルートヴィッヒは、ボンに移住してケルン選帝公の宮廷歌手となり、後には楽長も務めましたが、 父は祖父ほどの地位は得られず、酒浸りの毎日を送っていて経済的にも苦しかったようです。

ベートーヴェンは、幼時期よりこの父から音楽のスパルタ教育を受け、相当に過酷なものだったようですが、 その影響もあってか、14才の時に音楽家としての第一歩として宮廷のオルガニストに採用され、このころから作曲も手がけていています。
1787年にはウィーンを訪れており、この時にモーツァルトに出会い、モーツァルトが「天才が現れた」 と評したというエピソードが残っています。
1792年に、ワルトシュタイン伯爵の援助でウィーンに行き、以後活動の場はウィーンはもとより、ベルリン、プラハ、と 中欧へと広まり、ピアニストとして経済的にも安定しました。

しかし卓越したピアニストとしてのベートーヴェンのキャリアは28歳頃から彼に難聴という試練をもたらし終末を迎えたかの ようですが、彼の粘り強い性格から障害を受け入れ立ち直ります。
しかし難聴は悪化していく一方で、晩年の10年間はほとんど完全に耳がきこえなくなっていました。

1827年3月29日午後3時からのベートーヴェンの葬儀には、少なくとも2万人にのぼるウィーン市民がベートーヴェンの 家の前に集まりました。
8人が棺をかつぎ(そのうちの1人はシューベルト)、何十人もの人がたいまつを掲げ、葬列には合唱隊が付き添いました。
メディアのない時代にこれだけ盛大な葬儀になったのは彼の偉大さゆえでしょう。



ピアノの歴史

現在のピアノの原型は、1709年にイタリアのクリストフォリにより発明されました。
チェンバロの音が強弱の変化に乏しいことを不満に思い、爪で弦をはじいて鳴らす代りに、 ハンマー仕掛けで弦を打って鳴らすという現在のピアノ・メカニズムを作り出し、 彼はこのメカニズムを備えた楽器を“クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ” (弱音も強音も出せるチェンバロ)と名付けました。
この名称を短くつめて、現在“ピアノ”と呼ばれているわけです。

その後ドイツへと受け継がれアクションが改良され、軽快なタッチと音が特長の明るく平均された音色の ピアノフォルテをモーツアルトが愛用しました。
それに改良を加え、弦に弾力を増し、フレームも強くしたアクションで、抵抗感のあるタッチと、力強い音を生み出した、 現代のピアノの先駆ともいえるピアノフォルテで晩年のベートーヴェンは数々の傑作を書いています。

初期のピアノフォルテの音域は、18世紀の終り頃までは5オクターブが標準であったのが、1800年の境を過ぎると、 年を追って音域が増しました。フランス革命(1789年)以後、ピアノも音域の広がりとともに、 ホールで聴くに耐える音量や音の伸びが要求されるようになり、弦はより高い張力で張られ、それを支えるフレームにも、 頑丈な鉄骨が使われ始めピアノ工業も大きく発達しました。

1820年をすぎる頃から、ピアノの製造方法に各国で多くの改良や発明が行われ、ピアノフォルテ時代の細い真鍮線に比べて、 音量が著しく増大するミュージックワイヤーを使うようになり、そして1826年にはフェルト製のハンマーも発明されました。
低音の音量を豊かにするために、太い銅の巻線を使うようになったのも大きな発明です。
そして音域もショパン、リスト時代は82鍵にまで増大し、第一次世界大戦後は、88鍵が標準になりました。

ピアノが誕生した300年前から、アクションやハンマー、弦やフレーム、音の質やタッチ、音域、音量等、 その時代に沿って改良されながら現在のピアノが完成されたのです。
ですが、3世紀に渡り発展を遂げてきたかのようですが、 19世紀末にはもうすでに完成の域に達し、20世紀になってからはほとんど変化していないようです。



ベートーヴェンに関する書物

ベートーヴェンの生涯
ロマン・ロラン (著),
片山 敏彦
よく書けているし感動します
―DVDブック―
小沢征爾DVD
第九映像と納得の解説本が一冊に
平野 昭
西原 稔
土田 英三郎
価値のある一冊です
『ベートーヴェン事典
全作品解説事典』
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